sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.17

KIMIKO流
どこまでも進んでいける歩き方。

ポスチュアスタイリストKIMIKO

独自のウォーキングメソッドで、日本のみならず、
世界中を駆け巡り、多くの人々にハッピーをデリバリーし続ける素敵な女性、
ポスチュアスタイリスト KIMIKO さんをフィーチャーします。

『ポスチュアウォーキング』全てはここからはじまった。

「美しく歩くと、自分を素敵だなって思えるんです!ただ歩くだけなのに身体も変わります。どこにでも行ける自分になれるの。ご機嫌な自分がいると、周りのみんながなんとなく幸せになれる。なんとなーく幸せって素晴らしいことじゃない?これは私の35歳の時の写真!びっくりでしょ?」KIMIKOが天真爛漫な笑顔で話し出した途端、ふわっと急に空気が温まるのが分かる。彼女が定期開催しているウォーキングレッスンにはたくさんの女性がつどう。年齢もさまざま、経験もさまざま。中にはKIMIKOレッスン10年の上級者も。「やっぱりしばらく来ないと、なまっちゃうんです。」かく言う彼女もKIMIKOに魅了されてしまった一人なのだろう。KIMIKOは、岡山県のサラリーマン家庭に生まれた。父親は着道楽で、いつも玄関にはぴかぴかな靴が並んでいた。優しい母は毎日父のためにネクタイを選んでいたそうだ。後に、KIMIKOが離婚を決断し、裸一貫でポスチュアウォーキングをはじめた時、二人は何も聞かずに岡山から上京し、子育てと家事を担ってくれた。
全ては“『ポスチュアウォーキング』が人々をキレイにする。幸せにする。”そのKIMIKOのゆるぎない信念から始まった。そう確信した日から、一度たりとも軸がぶれることはなかった。歩き方を正すと、姿勢が変わる。それを毎日継続することで筋肉が変わる、骨格が変わる。意識的にやるトレーニングとは違い、歩くことは毎日必ず行う日常である。誰にでも簡単に取り入れられるそのメソッドは、最終的に人の心さえも変化させることを自身で身をもって体験した。目の前でみるみる生徒たちが変化していく。表情が晴れわたり、キレイになる。
『ポスチュアウォーキング』を伝えること。 それは、KIMIKOにとって、使命だったのだ。

35歳、
初めての挫折。

思えば器用がゆえ、挫折を感じずに生きてきた。中学時代、何の気なしにはじめた走り幅跳びも、好きで継続するうちに全国8位という結果を出した。高校卒業後、当時13倍の難関を勝ち抜き、自衛隊に入隊した。特別思い入れはなかったがミス岡山にも選ばれた。27歳、東京でめぐり合った人と結婚し、29歳と33歳の時に男の子を産んだ。
そして35歳。レッスンで、KIMIKOが紹介していた写真はこれだ。
彼女はこれを見た瞬間、「このままでは死ねない。」と愕然としたという。産後太りが戻らず、腰から下は全くくびれがない。猫背で疲れやすく、気持ちもいつも沈みがち。到底自分のことを好きではなかった。絵に描いたような幸せを手に入れたと思っていた。だからこそ、写真を見た時に愕然としたのだ。自分だけ、絵からこぼれ落ちている…そんな自己喪失感だった。

底のない沼に投げ出されたように鬱々ともがく日々の中、KIMIKOはある折込チラシを見つける。雑誌でよく見ていた憧れのモデルが講師を務めるウォーキングレッスンだった。それを見た瞬間、KIMIKOは不思議とこれだと思ったという。通って間もなくみるみる変わっていく自分を実感した。日常的に美しく歩くことを心がける、胸をはり、背筋をぴんとのばすだけで、人生をまっすぐ歩いていく気持ちになれた。小さい習慣が積み重なるということは、おおげさでなく人生を変えるのだ、そう思った。そして2年が経つころ、KIMIKOの贅肉は、身体からも心からもすっかり消え去っていた。転機はすぐに訪れる。「きみちゃん、すごく変わったから、子育て中のママたちにウォーキングレッスンをやってくれない?」声をかけてくれたのは、古くからの親友だった。ポスチュアウォーキングがスタートする、きっかけとなる出来事だった。

私が私に出会った。

そこから、ウォーキングに全身全霊を捧げはじめたKIMIKOは、人に教えれば教えるほど、これは本物だと実感する。改良を重ね、「ポスチュアウォーキング」という体系を独自で作り上げた。KIMIKOにとってウォーキングは、スタートこそ自分の身体をキレイにするためのものであったが、今では、人をキレイにするための魔法になった。これを通じて人の喜びに立ち会うことができる。人と喜びが交わるのは、何にも代えがたく幸せなことだった。情熱は、どこまでも泉のように湧き上がった。中途半端にやるわけにはいかない、KIMIKOは誓った。これに命をかけよう、責任と愛情を注ごう、それが、一度しかない私の人生の幸せだ。覚悟を決めたKIMIKOは、子供を二人連れ、離婚を決断した。これでスタートはゼロ。いざとなったら、夜の仕事でも何でもして、子供たちを育てよう。
不思議と恐れは感じなかった。


KIMIKOのやりたいことが軌道に乗るのに、そう時間はかからなかった。もちろん様々な人がKIMIKOを求め、一方で去ってもいった。何事もなく進んでこれたわけではない。忙しさから、がりがりに痩せてしまった時期もある。それでも時代は、彼女を放っておかなかった。マナー、身体、心という3つの柱から、KIMIKOはポスチュアウォーキングをレクチャーし続け、彼女が教えた生徒の総数は今や20万人にも上る。出版した著書は全16冊。累計発行部数は17万部以上だそうだ。ポスチュアウォーキングの特集のみならず、彼女自身の生き方を知りたいと、テレビや雑誌の出演依頼も相次いだ。ニューバランスとのコラボレーションシューズは、今でも飛ぶように売れている人気商品だという。『歩くことが、人生を変える。』
そう15年前にKIMIKOが確信したことは、間違っていなかった。たかが歩くこと。
されどそれは人にとって、自分の価値、そして人生を踏みしめるための何よりのツールだったのだ。

命をかけて、前に進む。

KIMIKOが次に考えたのは、ポスチュアスタイリストを増やすことだった。自分が愛情を持って目をかけ、教え込んだ弟子たちに、ポスチュアウォーキングを広める手伝いをしてもらう。資格制度を設け、現在では70名のポスチュアスタイリストたちが全国で活躍している。歩くことは究極の自分との関わり方である。弟子たちはそれを身をもって体験した信頼できる生き証人だ。また、教育的観点から、「歩く」ことをレクチャーしたい。そう考えていたKIMIKOに、順天堂大学、静岡大学などの大学で特別講師として教える依頼が舞い込んだ。歩くことは、誰もが自然に始めることだが誰も教えてくれない。そこに目をつけていたのだ。活動は海外にも広がっている。去年はフランクフルトに招かれ、現地法人の日本人エグゼクティブたちに歩き方を教えた。 イベントは大盛況のまま終わり、彼らは日本に戻ってくるとKIMIKOのレッスンにやってくるのだという。更に最近では、講談社から著書が出たばかりであるが、主婦の友社からの新刊も決定した。
たくさんの出会いの中で、幾多の喜びがあった。逆に、信頼していた人の裏切りや、去っていくスタイリストたちに心を痛めたこともあった。長いトンネルのように感じられる日々に、自分にかけた生命保険金を計算してばかりいたこともある。けれど、いつも結局はここに帰ってきた。命をかけてやると決めたポスチュアウォーキング、自分を待ってくれているたくさんの生徒、そして弟子たち。たった一人でこぎ始めたいかだは、いつのまにかたくさんの仲間と共に、サンタマリア号として走り始めていた。まだ、航海は続く、どこにでも行けるのだ――。

たくさんの花を咲かせたい。

どこまでも愛情深い人だ、そう思った。 愛をそそげる力は、何をも凌駕する――、彼女を見ているとそう思う。 「自己満足かもしれないけれど、好きな人がいっぱいいるって幸せじゃない?生徒さんたちも大好き、息子たちや、父も母も大好き!自分が好きなだけ好きでいられるってめちゃくちゃ幸せなことだと思うの。私はみんなの幸せを願っているから。幸せになって欲しいなぁとかではないの、その人が持っている幸せの花を咲かせてあげたい。だから、目標は90歳現役。ポスチュアウォーキングを通じて少しでもたくさんの人をキレイに、幸せにしようと思ってる。もう不安なんて感じている暇ないのよ。楽しくて。」KIMIKOの発する言葉は全て、ストレートだ。そんな真っ当な言葉たちが、聞いている者の胸にすとんと素直に落ちてくるのは、彼女がずっと、まっすぐに愛情深く生きることを当たり前のように選択し続けてきたからだと思う。彼女の愛情の定義は、決して他者に向けて献身的でいるという狭義ではない。その裏側には、自分という宇宙へ愛情を注ぐという本質がある。だからこそ『ポスチュアウォーキング』は生まれたし、もっと、彼女を見ていたい、話す言葉を聞いていたいと思わせる深みがあるのだろう。 彼女はこれからも変わらぬメソッドで、愛情という才能を武器に、誰にも太刀打ちできない力で、人々の価値、そして美しさを引き出し続けるに違いない。そしてそれが、たくさんの人を幸せに導くのだろう。

人生で大切なものを円グラフで表してください。

美しいことを味わうため、経験するために生きていると思います。つい最近も箱根のラリック美術館にいったのですが、もう震えるくらい美しかった!その時も、私はこのために生きてる!と思いました。あとは、母親としての役割意識ですね。

Profile
KIMIKO

1961年岡山生まれ。ポスチュア(姿勢)スタイリスト。株式会社 THE POSTURE 代表取締役。一般社団法人 ポスチュアウォーキング協会 会長。産後の体型の崩れを克服するためにウォーキングを学び始める。ウォーキングにより劇的な全身整形を体験し、その後独自のウォーキングメソッド「ポスチュアウォーキング」を構築。現在は、ポスチュアウォーキングレッスンクラスのほか、ニューバランスとおしゃれなウォーキングシューズを共同開発。講演、企業セミナー、ビューティーアップ ゴージャスツアーなどで世界を飛び回る日々。