sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.22

ウェイクボードを楽しめる環境をより良くすること。
それができた時には、誰よりも自分が一番楽しいはずなんです

レジェンドウェイクボーダー高岩 “MATT” 正人

photographs / Shuji Tonoki,Yoji Kurokawa
text / Masahiro Ikeda <Mix Inc.>

15年以上トップアスリートとして走り続けてきた、
ウェイクボードのトッププロアスリート、高岩 “MATT” 正人の
ライフストーリーを伺いました。

ウェイクボードとの出会い

ウェイクを始める前、もともと車やスノーボードにハマっていた。そんな頃、友人がサーフボードのような形をした昔のウェイクボードを持ってきた。それを使って、とりあえず仲間で遊んでみたのが、15年以上トップアスリートとして走り続けてきた高岩正人とウェイクボードとの出会いだった。

その時は遊び方が分からず、全然面白くなかったのを覚えている。その後、スノーボードのビデオにウェイクボードのシーンがちょっとだけ出ていて、そのアメリカの連中がウェイクボードで水上を飛んでいた。それを見て「ウェイクボードって飛べるんだ!」って知って、次の時に飛んでみたら、そこからハマった。

それからしばらくして、大会に出ることになる。最初の大会は、自分の出たクラスで4位。その次の大会が関西大会で2位。大会1年目にして全日本に出れることになり、そこで全日本で上位5位になるとプロになれるって知った。でも結果は6位。とにかく負けたことが悔しかった。その冬に、自分が通っていたスノーボードショップがウェイクボードショップをやることになって店長として働くことに。そして翌年に全日本にいってプロになった。それから、ずっと選手として生活を続けてきている。

あまりにも小さい業界なんで「やったもの勝ち」なところはあったと言う。プロになって3年間は大会に出続けようって決めていたが、すぐ1年目にツアーチャンピオンに輝き、その後ツアーチャンピオンを何度も勝ち取り、15年以上トップアスリートとして輝き続けている。


ハワイでの出会いから

プロになった年に、兄貴から聞いたハワイのウェイクボードショップに行くことを決め、英語が分からないので日本人が出ないかなって思いながら毎日電話した。ハワイへのフライトの朝、日本人が出てくれた。そいつがヨシ高村。これから向かうから、2日間泊めてくれって交渉した。

最初イヤだって言われたが、「これから空港に行かないといけないからお願い」って無理矢理押しかけた。彼と出会い、1ヶ月のオープンチケットで来たのに15万くらいしかなった自分を世話してもらった。

その後、日本からハワイに来た彼の友達が僕のことを知っていて、日本ですごいウェイクボーダーだって言ってくれて、彼の信用を少し得たりした。また他の彼の友達が来たら、その友達が部屋や車をシェアしてくれて、結局1ヶ月半ハワイに滞在した。そしてオーナーが、そのハワイのウェイクボードショップ「RNR SURF & SNOW」のチームライダーになれって言ってくれて、次の年からハワイでトレーニングしながら、そこで仕事をすることになった。 翌年、エイベックスの松浦さんにハワイで出会うことになる。松浦さんは当時ウェイクボードにハマっていて、プロに教わりにハワイのRNRに来ていた。彼が連れてきたプロと、たまたまそこにいた自分が、デモライディングを見せることになった。

その時、ボートの上で滑り終わった人が寒そうにしていたので、僕のジャケットを貸した。その人が松浦さんだった。たまたまマサトって名前が同じで仲良くなって、それから多方面にお世話になることとなる。

上京のきっかけ、スポンサード。
そして大会の記憶

その後、松浦さんがボートを買ったから教えに来てよってなって岡山から呼ばれ、最終的には、結局松浦さんが持っている家や車を使わせてもらって、いつのまにか東京暮らしになった。

彼に2週間限定で呼ばれた時から、そのままの流れでずっと東京にいたから、お金も着替えもなく、服とか靴とかスポンサーを探した。松浦さんはそんなきっかけを作ってくれた人。厳密にはエイベックスではなく、松浦さんにスポンサーになってもらっていたんだけど、ウェイクボード業界のためになるなら、エイベックスのステッカーをボードに貼っていいよって言ってくれた。

今も忘れられない大会がある。松浦さんとの出会いの後、エイベックスがスポンサーになった1年目にお台場で行われたツアー最終戦。その頃、プロ1年目はチャンピオンになったけど、エイベックスからスポンサーされて注目され、周りからの目が厳しくなっていて、2年目はどうなの?ってプレッシャーも大きかった。

その最終戦で、当時トップライダーだった長塚学と栗田鉄夫と僕の3人誰が勝ってもシーズンチャンピオンだった。そんな勝負の舞台を滑る前は、緊張で鼻血が出そうなくらいだった(笑)。

よく「ゾーンに入る」って、いろいろなアスリートが言うけど、僕もそれが何度かある。滑っている間、すべてがスローモーションになり、途中の細かいことは覚えてないけど、完璧にやれていることは分かっている。そんな時間。その時の決勝の最後の滑り、ダブルアップ(波を大きくさせて、ライダーも大きく飛ぶ競技最後の1技)を飛んだ時も、空中にいる間がスローモーションで、「あ、決まった」って思った。そして優勝した。

ウェイクボードの魅力

ウェイクボードの魅力。僕にとっては簡単にジャンプできるところ。それが気持ちいい。そしてジャンプは突き詰めていけばいくほど奥深い。その楽しさは最初スノーボードのビデオでウェイクボードでジャンプができると知った時から変わらない。

一般の方にとっては、普段水の上を滑ることって珍しいことだけど、ウェイクボードはすごく簡単に水の上を滑れて、一番すぐに楽しいって思えるのが魅力だと思う。めちゃくちゃ手軽だし、最初は道具もレンタルでいいから、水着とタオルだけ持ってくれば遊べる。あと女性は日焼け止めくらいかな。

これから

今、僕は選手であり、メーカーの立場でもあり、ショップの立場でもある。長くウェイクボードとともに生きてきて、あきらかにウェイクボード業界の業界人になっている。そんな立場としては、ウェイクボードはこれからの数年で飛躍をするチャンスが出てくると思っている。

そのチャンスの一つが、近い将来、日本にケーブルウェイクボードの施設が増えること。このケーブルウェイクボードと言うのは、スキー場のリフトのようなもので水上を引っ張ってくれる施設。すでに海外ではポピュラーで、日本もそこにチェンジするタイミングなので、そんな環境作りにたずさわっていければって思っている。

今までのようにボートで引っ張るのが主流だと、どうしても一般の方がやれる環境が少ないのは事実。そこにケーブルウェイクボードが環境として加わることで、ウェイクボードや水上スポーツに接しやすくなる。そしてそれがきっかけでウェイクボード人口が増えれば、僕もやっているボードメーカーやボートメーカーが潤い、選手へスポンサードの内容も良くすることができる。そうするとアスリートが安心して競技に集中できる。

その昔、僕もエイベックスからスポンサードされていた頃に感じた環境のありがたさを、若い選手に提供することができる。そして僕ができなかった世界への道を若い選手が進むことができたら、そんな嬉しいことはない。そんなところに自分も含めて環境を持っていきたいっていうのが今の僕の目標です。そして、もしそれができた時には、誰よりも自分が一番楽しいはずなんです(笑)。

Profile
高岩正人 MASATO TAKAIWA

トップアスリートとして15年以上活躍を続けてきたレジェンド・ウェイクボーダー。現在、東京湾に流れ込む荒川をベースに活動。
ショップ「GARDEN」オーナーであり、BYERLY BOARD, HYPERLITE,RONIX, NOUTIQUEを扱うインフィニティ社のプロデューサーであり、HUMANOID, MASTERCRAFTを扱うオーキッド社の代表。